ひつじが丘
私は読んだ本の99.9%を忘れてしまうので!
三浦綾子はすごい。
なにかっていうと、彼女が描いた弱く、醜い登場人物を自分や周りの人にあてはめるっていう楽しみ方があるから。
加えて、自分が中高生の時に読んだ時と、今読んだ時の感覚が違う。
こころのいやらしい部分を本当に描いている。
このなかで自分をあてはめるなら、教師の竹山。
好きな女の子にアタックもせず、ぐずぐずしている意気地なし。
ていうか、それ以外の男はみんな不倫しているっていう設定。
カオスだねー
さて、この物語の問題点はここ。
「妻は夫の浮気をゆるすべきか」
31年前の1980年と今の状況を比べて見るのも面白い。
とりあえず、主人公の女の子はゆるす立場。
夫が浮気をするのは自分がしっかりしてないから、などと自分を責めて悲劇のヒロイン。同じことの繰り返し。
一方、夫は悪いとは思っているが、繰り返し酒と女にはまる典型的なダメ男。
結末は、キリストの教えを受けて改心した夫(禁酒、禁女)が、結局いっぱいの酒の誘惑に勝てず、偶然が重なり凍死。
しかし、この作品は実際に私たちは許すの?それとも許さないの?という問題を投げかけている。
私は、「許さない」派
なぜなら、夫の事を信頼できなくなるから。一度やったことは2度やる。三つ子の魂100まで。
そんな気持ちのままで、一緒に生活できない。
では、子供ができて自由に入れない時は?
やはり、許さずに別れる。
ただ、その時も子供に醜い醜態をなるだけ見せないような配慮がいると思う。
そして、子供が大人になったときに真実を話す。
30年以上前の話だけど、ほんとに人って変わらないんだなって思う。
主人公の奈緒美は良一の「感情をそのまま出すところ」に惚れた。
しかし、それはつまり欲望のまま行動するという理性を書いた、
いわゆる子供の考え方だ。
私は、自分は好きなことを好きなようにしなさいと両親から言われて育ってきたし、そうあるべきだと考えていた。
しかし、この本を読んで本当にそれでいいのだろうか?
と思った。
大人になることとは、自分の感情を抑えることができるようになることなのかもしれない。
23歳にもなって、自分の感情を抑えられないようじゃ駄目だと思う。
が、それは時と場合による。
いつもは自分の感情は抑えていい。
例えば、旅行に友達と行って喧嘩をするという話をよく聞く。
ひとりひとりやりたいことがちがうのだから、その都度どちらかがゆずらなくてはならない。
じゃあ、いつ譲って、いつ自分はこうしたいと主張すべきなのか?
それを事前に考えとかないと、ぐだぐだになる。そしてその譲れない主張が重なったときは、どうするのかを考えておいたほうがいい。
たとえば、沖縄旅行にいったAさんとBさん。
Aさんは、せっかく旅行に来たのだから、現地のおいしい店に行きたい。
Bさんは、おなか減ったから、早く食べたい。
食べ物の好みは本当に人それぞれでどうしようもない。そういう事態を事前に相談あるいは予測しておくのが一番楽かな。最後の手段として、別々に行動する。
これもありだと思う。
あれっ!!??
これって就職活動にもつながらないか?
よく、「自分の軸を持て」と言われる。
これは、譲れないものを考えなさいっていうことかな。
私は、社会に出て、日本代表になりたい。
サッカーでもそれが夢だったし。
夢を追いかけていたい。
生活面では、ゆったりとして家庭を築きたい。
家族を養えるくらいの収入が欲しい。
できれば世界各地を旅行したい。
と一緒に住めるような状況がいいな。
なかむつまじく暮らしたい。
よし、いっくぞう!!